裏GOODDAYS 日々の随想

こちらは日々の随想を吐き出している裏ページです

あえて沖縄を痛烈に批判する

集団自決に関する教科書検定の問題で揺れる沖縄だが、全国学力テストの順位では沖縄県だけがすべての科目で思わず目を覆うほどに圧倒的な最下位だった。

所得の低さ1位や肥満率1位なことはさておき、この結果はシャレにならないだろう。

 

教育関係者は大慌てだろうし、反省や言い訳が行き交っているのだろうと想像する。

ちょっと見た感じでは、「劣等感を植え付けられないか心配」「これを序列化と言わずして何というか」「アメリカ占領期があったからそもそも不利」という言い訳がましい現場の声もあれば、「沖縄は勉強しても就職先がそんなにない」というにべもないものまであった。

 

ところで、沖縄といえば、少し前に集団自決の問題でものすごく揺れていた。

産経新聞朝日新聞のバカバカしい争いはともかく、沖縄県紙2紙の報道量は尋常ではなかったし、現地の熱気はとても本土には伝わりきれないほどのものがあったのであろうと想像する。

曽野綾子さんの集団自決に関する否定的見解の調査結果は正しいのかもしれないし、大江健三郎のような手合いは単なる売国奴としか思えないし、産経新聞が報じるとおり集会の人数水増し疑惑はあるのだろうが(南京事変と変わらんレベルですな…)、まあ、どう考えても集団自決があったことは事実だと思うし、この件に検定意見を出したことは間違いであると僕も思っている。

 

ただ、あの集会に参加した人々の何割がこの集団自決の問題について客観的・多角的な角度で検証しているのかというとそれはかなり心もとないのではないかと想像する。

僕は批判精神というものは大変に重要で、自分の思考を積み重ね、その意見をきちんと筋道立てて説明できるようになる能力を養わない限り、真に自律的な人生を送ることができず、周囲の空気や流行に支配される他律的な人間になってしまうと考えている。

例えば、教育現場で必要なことというのは、子供たちを何もわからないまま集会に参加させたり、意味の無い寄せ書きを書かせることではなく、検定について自分の力で多角的な角度から想起させることではなかったのだろうかと思う。

場合によっては、わざと逆の立場に立たせてディベートさせ合ってもいいぐらいである。

 

子供らは「私たちは本当の歴史を勉強したい」と叫ばされているようだが、それであの圧倒的なビリっていうのはカッコ悪すぎるし、その結果を見ると、彼らがどの程度歴史を真面目に勉強しているのかもわからない。

例えば、「ギリシャ・ローマ時代に培われた精神がイスラム文明を経てルネサンスへとつながり、文芸復興の精神や宗教改革絶対王政活版印刷の発展などを通じて民主主義的発想が流布し、それと同時に、デカルト的発想が科学的思考法を生み、それが産業革命を生み出した…」というふうに人類史を大きくぶった切ることもできなければ、当時の日本の追い詰められた状況やシビリアンコントロールが瓦解し軍国主義になっていく際の大衆感情はどういう方向に揺れていたかという点についてですらわかっていないのではないか?と想像してしまう。

 

軍国主義はともかく衆愚政治に陥らないために大切な力というのは流されずに自分の考えを張り巡らす力だ。

あふれる情報を鍛えられた自分のフィルタでピックアップし、自分の言葉で語れるようにそれを再構築しなおす力だ。

マスコミがこれほどに愚かで、スポンサーの意向を配慮せざる得ない今の世の中においてこの能力は必須と言って良いだろう。

確かに、学校で学ぶ内容が必ずしもその能力を醸成するとは思わないが、やはり最低限の素養がなければそういった力は養いようがないように僕は思う。

寄せ書きをしたり、折り鶴を折ったり、何もわかっていない生徒を集会に駆り出してもそんな力は養われない。

学力が低いだけではなく、未成年の飲酒率も高く、成人式が毎年最も荒れる沖縄だが、学力を上げそういう手合いを減らす努力をするほうがこんな大会を盛り上げることよも先決なのではないかと僕は思う。

 

まあ、恥ずかしくない程度の大学には受かったものの高校3年の2学期末テストの学力が学年でビリから4位だった僕が言うのも難だが、逆を言うと、それでもこの程度には考えられるってわけでもあり、また、僕の場合は中学・高校時代からの読書の積み重ねと独自の意見を考える習慣によってそういう力を養ってきた。

このブログで述べる意見に偏りはあるかもしれないが、ここに書くことはすべて僕が僕の脳で再構築して自分の言葉で語っている意見であり、このあまのじゃくぶりを見てもらえば、たとえ孤立をしようと僕が大衆に流されない人間ではないということを理解していただけるのではないかと思う。

 

ところで、本土には沖縄に移住したい人も多いようだが、それはあの気候にひかれてのことなのであろう。

しかし、移住する人間には、言葉の通じる南国的な風土の土地で住みたいと思う疲れ気味のドロップアウト的な風情が多いらしく、ゲストハウスに住み込んだまま住民登録をしなかったり、現地のコミュニティに入っていこうという気がなかったり、傍若無人にふるまったりする人間も少なくないと嘆かれているようである。

また、確かに沖縄は魅力的な気候を有していると思うが、それはプラス面についてばかり考えた場合のことで、よく考えると、はっきりとした四季がない、本土で食べられる豊穣な旬の食物を逆に食べられない、山や紅葉の魅力がない、気軽に県外に行けないというふうに減点法で考えると悩んでしまう点も多い。

 

私は沖縄を旅行した際に、戦争関連の資料館や慰霊碑を訪ねることを大きな目的としていたのであえて言うが、沖縄の人の声に「リゾートばかりを楽しんで戦争関連施設や慰霊碑を訪れない旅行者が増えている」との嘆きの声もあるようだが、僕は「それはそれでオフの時ぐらい仕方ないんじゃないの?」と思うし、沖縄の負の部分が嫌いだから沖縄に行きたくないという人は知り合いだけでもかなりたくさんいる(沖縄の人はそれを知っておいたほうがいいと思う)。

世界22ヵ国を旅しているのに僕が絶対に韓国に近寄らないのと似たような発想である(ちなみに沖縄には47都道府県中47番目に訪れました)。

 

ここまで、沖縄のことをボロクソ書いたけど、確かに沖縄は「反則!」と言いたくなるぐらいにいいところだと思う。

でも、僕の故郷の宮崎や鹿児島・高知からプロ野球キャンプ地を根こそぎ略奪しようというあの発想に僕が相当な嫌悪感を持っていることも事実である。

沖縄の新聞の社説に「12球団全球団を沖縄に誘致しよう」と書いていた時には、一瞬マジでギレた。

俺は那覇市が巨人キャンプを誘致している期間は沖縄には一切立ち寄らん!

宮崎県民は沖縄復帰後に新婚旅行のメッカの座を一気に奪われたこともおそらくは根に持っているのだ…(笑)。

 

それと、最後に一応ふれておきますが、僕は集団自決に関する生々しい証言などの記載にはかなり目を通しておりますし、ひめゆり平和祈念資料館と沖縄県平和祈念資料館では大粒の涙をこぼしました。