裏GOODDAYS 日々の随想

こちらは日々の随想を吐き出している裏ページです

地方都市がんばれ…る?

年末というのに独りで東京にいるものだから年末らしくない話題を…。

世間でこんなに大都市圏と地方の格差について論じられるようになったのはいつからのことなのだろう。

先日、地方が不利を強いられている税制はあえていえば法人税かな?と言ったばかりではあるが、格差論議でよく使われる「地方切捨て」って表現はおかしい表現なように思う。

今まで地方が政治家を使って不当なまでに都市住民の財布に手をつっこんで搾取してきただけの話なんだから…。

むしろ、現状では飽き足らずに「もっともっと地方にお金を…」と言っていて、それでいて仮にそうしても活気を取り戻せそうにない状況が問題なのだと思う。

 

地方衰退の原因として語られがちなのは、少子高齢化社会においても資源や人口の首都圏へ流入が止まらずに一極集中化が進む状況についてであるが、そもそもこれは行政というより日本人や日本企業の東京志向の問題である。

アメリカの超一流企業は多くが地方都市に本社を置くのに、日本の一流企業はどこも本社を東京に持ちたがる。

この志向性が一極集中を生んでいるといっても過言ではないと私は思う。

 

また、日本の有力大学が東京に偏在しすぎているのも問題である。

大学に行くために上京した人材が東京に残る状況がずっと続いているのだから地方が衰退するのはわかりきっている。

これも政治のせいではなく、日本の若者の東京志向が問題なのである。

 

最近の地方のネガティブな話題には目を覆うものがある。

この前イオンの岡田社長が「地方と都市の格差を是正するために…」と発言したことに猛ツッコミを入れたばかりではありが、「イオンがやってきて地元商店街がつぶれる」という話題がやたらと多いのには本当に笑ってしまう。

先週帰郷した際に宮崎のイオンモールに行ってみたが、確かにこれはスゴかった。

オイラの家の近所にある豊洲ららぽーとよりも便利そうでビックリした(笑)。

こんなものがあったら誰も市内の繁華街で買い物しようという気にはならなくなるし、実際に繁華街よりも断然多くの人でにぎわっていた。

 

モータリゼーションが発達している地方都市で商店街よりもロードサイドの店が発達するのは宿命なわけで、これは駅という交通結節点を持つ鉄道文化圏とそうでない地方都市との端的な違いに過ぎない。

商店街に人がいないのはモータリゼーションのせいであって地方そのものがさびれているせいではない。

モータリゼーションの進んだ都市というのは機能的な反面、退屈であり、鉄道文化圏はそこまで便利とはいえないものの活気や情緒を呼び込みやすい。

 

イオン的な大規模SCの出店を認めるか否かというのは、各地域が産業の保護をとるか消費者の受益をとるかそれぞれが選択するしかないわけだが、大規模SCによってつぶされた店の失業者はその街を出て行くしかないわけで、そうやって街が廃れていくという面はあるわけでその辺の判断は本当に難しい。

 

地方の人口が減る、財政が悪くなるということは、極論すれば、地域の福祉を集約化させることでしか打開できないように思うわけだが、そのためには地方都市といえども、小集落をバンバン切り捨てて地方都市を青森市富山市のようにどんどんスモールシティ化する必要が遅かれ早かれ生じるということになる。

実際、スモールシティ政策を進めている青森市が意外に活気に満ち溢れていたのには一年前の年末に旅行してビックリした。

郊外の一軒屋に住む年配の人を中心商店街から徒歩圏内のマンションに呼び込んで街を集約化させることは、福祉・インフラ・商店の集積化に一役を買い、街に活気を呼び戻すことのつながるわけである。

自動車文化圏を徒歩・公共交通文化圏に再構築しなおすことは、少子高齢化・人口流出による人口減少が進む地方再構築の切り札になりえるわけである。

 

最近はやがて住民がいなくなる「限界集落」が増えていることが問題になっているが、少子高齢化の時代では限界集落はどんどん打ち捨てても仕方ないと思う…というか打ち捨てていくべきだと思う。

大体、世界の先進国の中にこれほどまでに不便な山間部に集落を維持している国はないそうなのだからそれぐらいでちょうどいいように思う。

限界集落を見放すと治山治水が…とはよく語られるが、そうであれば、その限界集落を維持するために払われていたコストを消滅集落周辺の治山治水に回せばいいのであろう。

 

話は変わるが、今の世は、普通に開業してもなんとか飯が食えた時代と違って、その頃とは比較にならないレベルにまでグローバル化し、国際的なネットワークや大競争に勝つための規模がないと成功しづらい世の中であることもあってか、個人商店が25年で半減しているそうな…。

1979年に130万件だったのが2004年には65万件しかなくなっているというのだから目を覆わんばかりの惨状だ。

しかも、そのいくらかは固定資産税が安いから閑古鳥のシャッター通りでもやっていけているだけにすぎないという状況だ。

 

昔は中卒でも修行して店を開くなり、職人になるなりの道があったが、今の中卒がそんな手に職を持ったところでそれを役立てて生きるのは難しいし、中卒だと先が見えるというか…先が見えないという状況になってしまっている。

こうして格差社会の申し子が簡単に生み出される世になっているわけである。

オイラなんて大学を出ていること以外に何の手に職もないのに30歳になって結構な給料をくれる会社に雇ってもらえたわけで、大学時代は何も勉強しなかったけど、大学を出ててホントに良かったって思う。

 

これまた話は全然変わるが、不便さこそが情緒を生む面はある。

オイラが大好きな尾道は、車も通れないような坂道だらけ、夜の8時には真っ暗になるような街で、どうみても不便なのだろうがそれが実にいい。

今も駅裏にサティーはあるけど、仮に山の裏側にイオンができたりしてこのひなびた粋な商店街がつぶされたら観光客のオイラとしてはマジで腹が立つだろう(笑)。

 

日本の地方都市は特殊な都市ででも無い限り、鉄道文化圏で人口が多いためにイノベーションせずとも活気を呼び込みやすい東京の街々のような個性がない。

実は東京の街のほうが地方都市よりも情緒がある。

今や、こうした情緒が生き残るのは鉄道文化圏と尾道のような特殊な事情を持つ都市ぐらいなものではないだろうか…。

 

また、無意味に長くなった。

ここまで読んだ方は多分この文章の初めを読んだ方の30分の1程度であろう(笑)。