裏GOODDAYS 日々の随想

こちらは日々の随想を吐き出している裏ページです

ネットとスマホによる支配

陳腐なことを書きます。

次々とネットサーフィンをしてつまらないと思ったらすぐに飛ばす。

飛ばしながら見る情報はどれもこれもレベルが低く内容の薄い情報ばかり。

そして、情報の価値云々より、こういうことを続けていたら脳が変質していくというか、退屈に耐える力がなくなりはしないかと心配になる。

でも、ネットサーフィンは止められない。

特にfacebookなんて、長いこと連絡を取らずにいた友人と今頃になって繋がって、間が断絶したまま、その人の近況が垂れ流され、それこそどうでもよい情報の巣窟なのだがそれでも暇つぶしに見てしまう。

そこまでつながっていたいのかというツッコミは世間で良く見かけるし、そこだけでつながっている人脈はあってもなくてもさして変わらないとわかってはいるが、それでもつながっていないよりはマシと思ってしまうことに情けなさを感じつつそう思ってしまうのが正直なところでもある。

余談だが、俺の場合、リアルで仲の良い友人らに限ってろくにfacebookをやっていない。

もちろん、ネットよりも本のほうが何倍も有用な情報を得られるので意識的にネットよりも本を読む時間を多く取ってはいるし、あえて紙の新聞を読む時間を取るようにもしている。

また、赤子ですらスマホを使う時代にスマホを使えないことに危機感を少しずつ持ち始めてはいるが、ガラケーの使用も維持している。

通勤時間が徒歩12分というのが大きいが、街を歩いている時間やエレベーターを待つ時間すらじっとしていられないようになりたくないというのもかなり大きい。

退屈な時間はたしかに退屈でしかないが、どんなに細かな時間も我慢できないようになってしまったら、逆に人間本来の姿ではない不自然なものに支配されているような気がするし、個人的にはそれをグロテスクに感じる。

スマホの画面を見て街を歩きながらクソ情報を見たりゲームをすることに何の利があるのか、それがその人にとっての美意識にかなっているのが問いただしたいと思うのだが、俺のように思う人はどんどん減る一方だろう。

そして、歩きスマホをするくせに座禅だの瞑想だのヨガだのを生活に取り入れる本末転倒な人は逆に増え続けるだろう。

海外の電車では何もせずにぼーっとしているだけの人が日本に比べて何倍も多いのではあるが、スマホ依存は人類にとって不可逆的なものとなっているということは間違いない。

歩きスマホを迷惑と思い、美意識を疑うが、歩きタバコよりは10倍マシなので個人的にはそれで我慢するとしよう。

でも、自動車や自転車に乗りながら電話するところまではギリギリ許すが(もちろんアウト)、自動車や自転車に乗りながらスマホを操作する人を野放しにするのはいくらなんでもまずいのではないかと、実際にそういう人が増えているのを見て日々思っている。