裏GOODDAYS 日々の随想

こちらは日々の随想を吐き出している裏ページです

楽しいと感じる心

何事に関しても心が楽しいと思ってくれるかが一番大切なのは言うまでもない。

それより大切なことがあるならば逆に聞きたい。

だから何をやるにもどうやったら楽しいと思うようになるかということについて考えるが、そう思えないことが多いので困っている。

家の前が隅田川なのだが、釣りを楽しむ人もたくさんいれば(さすがにこの時期はいないが)、走っている人もたくさんいる。

ベランダから釣り人やランナーを眺めつつ、間違っても釣りをする気になんてならなければ走る気にもならない。

それを楽しいと思う人がいるというのに俺には魚を釣って何が楽しいのかわからないし、走って何が楽しいのかもわからないままなのだ。

個人的にラッキーなのは仕事を大好きとまでは思わないが嫌いだとは思わないことである。

でも、定時の17時になって帰る瞬間はうれしいのだが、それがうれしくなくなるようになる、もしくは、17時を過ぎても平気で働きたくなるようになればいいのにとは思うものの、俺の場合はなかなかそうはならない。

毎日17時前には間違いなくそわそわしている。

だから仕事大好き人間を見るとうらやましく思うし、仕事が嫌いな人がいればその人を心からかわいそうだと思う。

ちなみに、自分の仕事の社会的意義は大いにわかっているからそれに対する自負はあるが、やりがいを感じているかと言われればあるとは口にできないかもしれない。

だから仕事に大きなやりがいを見出だしている人のこともとてもうらやましく思う。

やりがいというのは一番と言っていいぐらいに大きな楽しさでもあるからそういう意味では仕事を楽しめていないなと残念に思う。

また、同じことをやっても楽しいと思う場合とそうでない場合がある。

初めは楽しく感じていたのに、慣れてくるとつまらなく感じることがある。

逆もまたしかりで、初めはきちんと良さがわからなかったが深く知るにつけ良さやすごさがわかるようになって楽しくなることもある。

例えば、芸術品を見てふーんと思うだけか、同じようなものばかりを見てもう飽きたと思うか、深く学んでそれがどうすごいのかが理解できてより楽しくなるかというような部分の差は人生において決定的な違いをもたらすと思うから学ぶことは本当に大切だと常々思うのである。

また、どん底を味わうと幸せが広がるのは確かである。

風邪をひいたら風邪をひいていないときのありがたみがわかる。

お腹が空いているときはお腹が満たされている時のありがたみがわかる。

でも、ビュッフェでお腹いっぱい食べると気持ち悪くなるだけで幸福感はほとんど消え去る。

だからビュッフェに行くたびにもうやめようと思うが、お腹が空くとまたビュッフェに行きたくなるから不思議である。

楽しく生きるためにはどん底に落ちた時の感覚を決して忘れないようにしなくてはならない。

悪い時があるから良い時を感じることができる。

良い時ばかりだったら良い時ですら悪い時に変わる。

結局人生は心がどう感じるかのコントロールなのだと常に思うようにせねばと思う。